脳梗塞の後遺症で左半身に麻痺が残った六十代男性、佐藤さん(仮名)の事例を通して、リハビリテーション病棟における入浴訓練がどのような感じで行われるのかを詳しく見ていきます。佐藤さんにとって、お風呂は単なる清潔保持の場ではなく、「一人で自宅へ帰る」という目標を達成するための重要な試験場でした。入院初期、佐藤さんは全介助の機械浴からスタートしました。当初、彼は自分の身体が思い通りに動かないことに落胆し、お風呂に対しても消極的でした。しかし、作業療法士と理学療法士が介入し、入浴に向けた「動作分析」を開始したことで、彼の姿勢は変わり始めました。訓練の第一段階は、シャワーチェアへの「安全な移乗」です。健康な右側の筋力を活かしつつ、麻痺側の足をどう支えるか。浴室の床は滑りやすいため、まずはリハビリ室の乾いた環境で何度もシミュレーションを行いました。第二段階は、片手で全身を洗う技術の習得です。ループ付きのタオルや、吸盤で壁に固定できるブラシなどの「自助具」を導入し、佐藤さんは自分の背中を自力で洗えることに驚き、自信を取り戻していきました。そしていよいよ、一般浴室での入浴訓練が始まりました。理学療法士が横で見守る中、佐藤さんは浴槽の縁に座り、慎重に麻痺側の足からお湯へ入れました。お湯の温かさを感じた瞬間、彼は「ああ、生きてる感じがする」と呟きました。これは、麻痺によって鈍くなっていた皮膚感覚に、温度という強力な刺激が入力された結果、脳が再活性化された瞬間でもありました。この事例におけるポイントは、病院のお風呂が「機能訓練室」として機能している点です。脱衣所でのボタンのかけ外し、タオルの絞り方、床を濡らさないような立ち回り。これらすべてが、自宅での生活を想定した緻密なプログラムになっています。最終的に、佐藤さんは家族の最小限の見守りだけで入浴ができるようになり、笑顔で退院されました。リハビリ病棟でのお風呂は、患者様の「できる」を増やすための希望の場所です。もし、身体に不自由を抱えて入院される方がいたとしても、病院にはそれを補うための道具と、動作を教えるプロフェッショナルが揃っています。一歩ずつ、階段を上るようにお風呂への自信を積み重ねていくプロセスは、機能回復以上の「心の自立」を育んでくれるのです。