私はそれまで、自分の心臓は人一倍頑丈だと信じて疑いませんでした。四十代半ばを過ぎても大きな病気一つせず、趣味のテニスで若者に負けじと走り回っていたからです。しかし、去年の蒸し暑い夏の夜、私のその過信は完膚なきまでに打ち砕かれました。始まりは、仕事が終わってリビングでくつろいでいた時の、ごく小さな違和感でした。胸の奥で、小さな魚が跳ねるような「ドクッ」という不規則なリズムを感じたのです。最初は「少し疲れが溜まっているのかな」程度にしか思わず、冷たい水を一杯飲んで横になりました。ところが、横になった途端、鼓動は激しさを増し、喉元まで心臓がせり上がってくるような凄まじい連打へと変わっていきました。脈を測ると、一分間に百五十回を超えており、しかもリズムはバラバラ。それでも私は「一晩寝れば治るはずだ」と自分に言い聞かせて、病院に行くタイミングを先延ばしにしようとしました。しかし、数分後、全身から嫌な汗が噴き出し、視界が急激に狭まっていくのを感じたとき、本能的な死の恐怖が襲ってきました。隣で寝ていた妻を起こし、ろれつが回らない中で「救急車を」と頼んだのが、その後の私を救う分かれ道でした。救急車の中で隊員の方がモニターを確認し、「不整脈が出ています、すぐに処置ができる病院へ運びます」と言ってくれたときの安堵感は今でも忘れられません。病院に到着し、点滴と専門的な処置を受けたことで、数時間後には嘘のように脈拍は正常に戻りました。診断は発作性心房細動。医師からは「もしあと一時間我慢していたら、心不全を起こしたり、血栓が脳に飛んでいたかもしれません。あのタイミングで呼んだのは大正解です」と言われ、背筋が凍る思いがしました。この体験を通して私が痛感したのは、自分の感覚を過信することの恐ろしさです。動悸という症状は、身体が発している最後通牒であることが多いのです。特に「脈の乱れ」に加えて「冷え」「めまい」「息苦しさ」が重なったときは、もはや自分で判断できる領域を超えています。私は退院後、少しでも心臓に違和感があれば、迷わず主治医に相談するようになりました。病院に行くタイミングを迷う時間は、自分に残された命の時間を削っているのと同じです。かつての私のように、仕事の責任感や「大げさにしたくない」というプライドを優先させて、身体の悲鳴を無視している人がいたら、伝えたいことがあります。あなたの身体を守ることができるのは、あなた自身の決断だけです。動悸という静かな嵐が吹き荒れる前に、専門家という港に避難してください。その一歩が、あなたの人生を、そしてあなたを待つ家族の未来を守ることになるのですから。